学部・大学院区分
Undergraduate / Graduate
法・博後
時間割コード
Registration Code
4301830
科目区分
Course Category
法学研究科開講科目
Courses Offered by the Graduate School of Law
科目名 【日本語】
Course Title
西洋政治思想史基礎研究
科目名 【英語】
Course Title
Fundamental Studies in the History of Western Political Thought
担当教員 【日本語】
Instructor
加藤 哲理 ○
担当教員 【英語】
Instructor
KATO Tetsuri ○
単位数
Credits
4
開講期・開講時間帯
Term / Day / Period
春 月曜日 1時限
春 月曜日 2時限
Spring Mon 1
Spring Mon 2
対象学年
Year
1年
1
授業形態
Course style
講義
Lecture


授業の目的 【日本語】
Goals of the Course(JPN)
二十世紀の西洋政治思想史の流れを概観することによって、私たちが生きている現在が、いかなる過去から生じてきたものかを追想するとともに、そのことを通して、私たちがいかなる問いを自らのものとして継承し、未来へと歩んでいくべきかを模索していきます。

二十世紀とは「西洋近代」がその頂点を迎えるとともに、やがてその限界が露わになるにつれて、それを克服するための思想的挑戦が様々になされていった時代でもあります。そもそも「東洋」の片隅にある一大学に偶然に設置されているに過ぎない本講義が、そのような「西洋」の思想史を「いま・ここ」において振り返ることに一体どんな意味があるのか、問うべきこと自体を何度も発見しなおしながら、講義を進めていければと思います。

そのつど与えられた状況の中で「西洋近代」が抱える多種多様な問題と対峙することで形作られていった数々の思想家たちの足跡を、丹念に辿っていきながら、私たちの存在の尺度が限りなく不透明になってしまった時代の中にあって、自らが進むべき道を照らしてくれる微かな光の痕跡に静かに耳を傾けていくことにしましょう。
授業の目的 【英語】
Goals of the Course
Through an overview of the history of Western political thought in the twentieth century, we will recall from what kind of the past the present has arisen from, and thereby we will seek what kind of questions we should inherit as our own and step into the future.

The twentieth century was a time when "Western modernity" reached its zenith, and as its limitations became apparent, various intellectual challenges were made to overcome them. What is the meaning of this lecture, which is merely an accidental one at a university in a corner of the "Orient", in looking back at the history of thought in the "West" in the "here and now"? Guided by this question, this lecture will be held.

Let us follow carefully the footsteps of numerous thinkers confronting the various problems of "Western modernity" in each given situation, and listen quietly to the faint traces of them. That will illuminate the path we should take in an age where the scale of our existence has become infinitely opaque.
到達目標 【日本語】
Objectives of the Course(JPN)
思想史の学習において目標とされるのは、何らかの体系的な情報や知識を獲得することでも、模範的な解答に確実に辿り着けるような方法を習得することでも、厄介な現実を巧みに操作し遮蔽することのできる分析手法や理論枠組みに精通することでもありません。

「思想史」という学問は、無限に広がる過去と未来の「歴史」の間で、ほんのわずかに存在する現在という場所のみを与えられ、絶えず「思想」しながら自らの生きる意味を問い続けることを宿命づけられている人間存在が、その自らの本質を自覚的に引き受けつつ歩んでいくことを決意するときに生まれてくる一つのエートス(=人生態度)なのです。ですから本講義の目標は、そのような生き方としての「思想史」を身につけることにあります。

そのためには、まずは先のような勉強の集積では全く歯が立たないような根本的な問題が脚下に潜在しているのに気づくこと、自己の存在全体が自己にとって謎となるような地点に立つことが必要とされます。またさらにそこから、長いながい歴史と時間の流れの中でしか答えが恵まれてくることのないような、そのような根源的な問いを日常の中で見失うことなく背負い続けていく思考習慣を血肉化することが求められます。

「いかにして」という問いだけが蔓延していく現代世界の真っただ中にありながら、同時にその背後に常に「なぜ」や「なんのために」、「どこから/どこへ」という問いが伏在していることを忘却することのないような、自らの生きる現在に対する慎ましやかな態度を身につけること、「なぜ」という問いが消失するまで「なぜ」という問いと苦心惨憺して格闘しなければならない、この広大な宇宙の中で不可思議にも人間だけが授かることになった、そのような「いのち」のあり方を責任をもって全うしていくための第一歩を踏み出すこと、

そのような果てしない自己究明の道への目覚めこそが、本講義の範囲を究極的には超えたところから由来している本講義の存在根拠であり到達目標なのです。
到達目標 【英語】
Objectives of the Course
授業の内容や構成
Course Content / Plan
「存在」の一語に導かれつつ、本講義は以下の道筋を辿ることになるだろう。

1. 哲学入門――マルティン・ハイデガー『存在と時間』を読む
2. ニヒリズムの時代としての二十世紀 ――マルティン・ハイデガーの前期思想と「存在の意味」への問い
3. 現代社会における「存在の意味」の喪失――その種々の相貌と現存在の苦境
4. 「存在の意味」への問いの陥穽――マルティン・ハイデガーの中期思想とナチズム問題
5. 「存在の真理」の忘却か、あるいは「ヒューマニズム」の楽園か――リベラル・デモクラシーの可能性と限界
6. 存在の彼方へ?――差異の思想とポストモダニズム
7. ニヒリズムの超克――マルティン・ハイデガーの後期思想と存在の故郷への問い

※なお講義の構成やそこで取り扱われる主題や思想家については毎年若干異なったものとなっていて、ここに挙げられた思想家をすべて取り扱うわけではありませんので、ご了承ください。
履修条件・関連する科目
Course Prerequisites and Related Courses
人間であればそれでよいです、人間であることは難しいですが。
成績評価の方法と基準
Course Evaluation Method and Criteria
他者からの「成績評価」に一喜一憂したり、あるいはその「方法」や「基準」がなければ、どうすればよいのか途方に暮れてしまう、そんなあり方から脱却することが、まずは「思想史」を学ぶこと、真摯に生を引き受けることへの第一歩になります。

ゆえに、はっきりと「成績評価の方法や基準」を、ここに端的に示しておくならばそれは、どれだけあなたが、「成績評価の方法や基準」などという文言に囚われない人間となっているかどうか、というものになります――「生きること」や「存在すること」に、何かお勉強や研究によって習得できるような便利な「方法」や「基準」がある、と考えるのであれば話は別ですが。

では、そのような形なきものを測りうるような尺度がどこにあるのか。この講義の成績評価も学期末の試験かレポートによって行われることにはなりますが、講義が真に活きたものとして、教えるものと学ぶもの、そしてそこに登場した思想家や哲学者とのあいだでの、ほんものの人格的交流となっているならば、そのような問いに対する答えは、自ずと講義の全体を通して自覚されてくるものだと思います。

この講義において私たちに問いかけられ、要求されているものは何であるのか。偉大な先人たちの言葉によって自らの魂が根底から揺さぶられるような「出来事」として、毎回の講義をきちんと「体験」してさえいれば、その問いに対する答えは、学期の終わりには、皆さん自身のうちで自明のものとなっていると思います(もちろん、これは形だけの出席を義務づけようとするものではありません)。あとはその歩みのうちで沈黙のうちに形作られてきた何かを、試験やレポートという形式を借りて、自分自身の腹の底から言葉で表現する、ただそれだけ、簡素といえば簡素なことです――借り物の知識で多弁を弄するより、真の意味でわがものとなった言葉で簡素に語ることの方が実は難しいのですが。

これ以上「成績評価の方法や基準」について何か文章によって語ることは、講義そのものを形骸化した死物にするものですので、差し控えることにいたします。何かこの点について疑問があるようでしたら、具体的に「加藤」という一箇の人格に直接お尋ねください。いつでも歓迎いたします。

こうした思想や哲学という学問の性質上、本講義の成績は講義という限られた時空間で定められるべきものでもないし、本来ならば皆さん以外の誰かが数値化して評価を下すべきものでもないのですが、さしあたって試験やレポートでは、皆さん自身の存在の瞬きが行間からにじみ出てくるような解答を期待しています。一つ問いに切実にぶつかるごとに、また一つ自らの実存が深まっていく、そういう体験からのみ生じる真の喜びを答案に表現していただければ幸いでございます。
教科書・テキスト
Textbook
こちらからレジュメを配布いたしますが、そこで語られる言葉を真に活きたものとするのは私たち自身の心の創造的な働きです。それを忘れてしまえば、すべての言葉は自分や他人を惑わすか、あるいは眠りに誘うだけの死物となってしまうことを注意しながら一緒に講義を生み出していきましょう。
参考書
Reference Book
特にありませんが、森羅万象からなる日常そのものが皆さんに教えを説いている参考書であるということを忘れないでください。また、日常のもつ豊かさや深さから皆さんを果てしなく遠ざけていってしまう、娯楽や気晴らしにはどうぞご注意を。

容易に情報や知識を手に入れることができるツールが巷ではますます溢れかえっていますが、氾濫する膨大な記号の喧騒の中から自分が素朴に問うべきことを教えてくれるような真の参考書は実は、紙面上でも画面上でもなく、日ごろ疎かにされがちな自分の心のうちに静かに眠っているのかもしれません。文明の利器に囲まれずとも、書架に厳めしい本が一冊もなくとも、この身一つさえあれば、いつでもどこでも堂々と学問しながら生死を歩んでいくことができる、そういう境地をぜひ養っていってください。
課外学習等(授業時間外学習の指示)
Study Load(Self-directed Learning Outside Course Hours)
「道爾(ちか)きに在り、而(しか)るに諸(これ)を遠きに求む(孟子)」。この古人の言葉が示しているように、学や「道」が私たちにとってもっとも近いところ、つまりは私たち自身の生そのもののうちにあるとすれば、そもそも講義には内部も外部もあるはずがありません。それを踏まえた上で強いていうのであれば、講義に登場した思想家の言葉を、よくよく自己の日常のうちで反復し味わい尽くすこと、それが皆さんに課せられる唯一の課外学習となります
注意事項
Notice for Students
政治「思想」や「哲学」というと日常生活とは何も縁のない言葉遊びの印象を受けるかもしれませんが、実際には哲学という活動は、自らが存在していることの不可思議な謎の前におののき続けるという、多かれ少なかれ人間として生命を授かった者なら避けることのできない営みを敢えて自覚的に遂行するという単純素朴なものです。「政治」という現象をどのように理解するかは別としても、それが私たちがその中で生きている基本的な要素の一つである以上、政治について哲学するということは、私たちが自己の存在への理解をより深いものにしていく終わりのないプロセスでもあるのです。そのような旅路に興味をもたれた方のご参加をお待ちしております。耳馴染みのない概念が講義の中に登場することも多々あるかもしれませんが、思考と想像力を最大限に駆使しながら、それらの言葉と自らの人生を結びつけていく粘り強さをぜひ講義を通して養っていただければと思います。
授業開講形態等
Lecture format, etc.
本講義は「対面」にて実施されます。

このような当たり前のことを敢えて明示しなければならないことに、ここ数年のあいだ人類が経験した狂騒がよく表れていますが、そもそもプラトンがその対話篇でその姿を活写したソクラテスその人が語っているように、真なる学問や哲学的対話は、人格同士の現実における責任ある交わりによってしか存在しえないものです。

授業というものが、たかだか数十年の人類の発明品に過ぎないツールやアプリに断面を抽出され、音声や画面に切り詰められてしまったとしても、そこに何の実質的な変化が生じないような情報や知識ではなく、真の意味における「知恵」をお互いに交換し、学びあう場であってほしいものです。
遠隔授業(オンデマンド型)で行う場合の追加措置
Additional measures for remote class (on-demand class)
まず以下の東洋の賢人の言葉を私たちは肝に銘じる必要があるのかもしれません。

「機械有るものは必ず機事あり。機事有るものは必ず機心あり。機心胸中に生ずれば、則ち純白備わらず。純白備わらざれば、則ち神生定まらず。神生定まらざる者は、道の載せざるところなり」。

(機械を持てば、機械による仕事が必ず出てくるし、機械をもちいる仕事が出てくると、機械に捉われることが必ず起きる。機械に捉われる心が胸中にわだかまると、純白の度が薄くなり、純白の度が薄くなると、精神が定まらない。精神が定まらぬところには、道は宿らない)